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ウラジオ短信

ウラジオの旧友が日本で逝く

古い話になるが、13年前、ウラジオから二人の青年が新潟への移住を決意してやってきた。二人の名前はカネフスキ・ワジムとコバレニン・ドミトリー。

新潟では、私の家にも何日か泊まり、彼らと日ロ交流の夢を語りあった。ワジムは自分でビジネスをやっていくことを考えていた。また、ドミトリーは日本企業に勤め、安定した生活を送りながら翻訳家を目指すと語った。二人とも、東京ではなく新潟がいいと言っていた。

その後、二人はその夢を実現した。ドミトリーは、新潟の会社に勤めながら村上春樹の小説の翻訳をこつこつやった。現在、彼はロシアで著名な翻訳家として活躍している。日本の新聞でも彼の活躍は紹介された。

ワジムは新潟で中古車の仲介ブローカーとして手広く商売をやった。ワジムの紹介でロシア向け中古車販売を伸ばした業者も多いのはずである。しかし、コバレニンのような長期戦略的な思考には合わない人間であった。ワジムの坊ちゃん育ちと、人のよさが禍したのかも知れない。

そんなワジムもある日、人の羨むような美しいロシア女性と新潟で結婚。ようやく彼の人生はこれから、と期待をしていたが、その結婚生活もうまくいかなかった。

ワジムとコバレニン、ソ連邦崩壊の混乱から逃れ、この新潟の地に夢を抱いてやってきた。誰よりも新潟を好きだと言ってくれたロシア人である。

この7月19日、ワジムは新潟市内のアパートでひっそり息をひきとった。享年40歳。翌日、病気治療のためウラジオに戻る予定であった。

2004/07/23 JSN 田代雅章

※この記事は、新潟日報紙の「環日本海情報ライン」2004年07月掲載の記事を転載したものです。

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