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新潟市ロシア極東経済交流団が訪ロ

新潟市ロシア極東経済交流団(団長、武藤紘一商工労働部長)に参加して、先月ウラジオとハバを訪問した。

私は一足先にウラジオに入っていたが、団員らが訪ロする前日にウラジオが雪となり、翌日は朝早くウラジオから新潟へ飛ぶ便が欠航となった。ウラジオで仕事をして10年になるが、10月に雪で飛行機が飛べなかったのは初めて。ウラジオでもこんなに早くから雪になるのは16年ぶりと、マスコミは伝えた。

新潟市のロシア極東経済交流団の派遣は3年連続である。今までの視察と違うのは、今回は具体的なビジネスマッチングだけを目的としていた。参加者17名中、民間企業は13名。私も含め民間企業の皆さんの顔つきが真剣であったのは言うまでもない。

ロシア側はウラジオ・ハバの日本センター所長らが、新潟の企業の要望に応じてロシアの信頼できる企業と事前に話をしており、団員らはロシアに乗り込んで商談を進めるという至れり尽せりの段取りであった。

今回の準備のために奔走したウラジオとハバの日本センターの浅井、前田所長と新潟市のご尽力には心から敬意を表したい。

ところで大事な皆さんの商談結果だが、商談を終え控え室に集まると「手応えを感じた」という声が聞こえてくる。「今までのロシア企業と確かに変わった」、ロシアビジネスではベテランの冨井社長(新潟トレーディング)がほめていたのが印象的であった。

私のほうは日本製の中古家電をロシア側へ提案したのだが、反応が今までとは違う。ロシアの輸入関税の問題や船員の持込みなど、このビジネスの問題点は多いが、ロシア側は真剣に質問を浴びせてきた。

あるロシア企業は、「やるからには修理センターをつくり長期的なビジネスを考えるが、日本が安定供給が可能か」、こちらが言葉に詰まることも度々であった。

今回のロシア極東経済交流団は、ロシアへの経済視察の新しいモデルケースをつくり、ビジネスマッチングが可能であることを実証した。また、新潟市が作成したロシア語の「新潟の企業の電子カタログ」は地方紙はもちろんのこと、有力全国紙の「コメルサント」にも紹介をされ大変な評価を受けた。対ロシア極東交流の新たな出発となる訪問であった。

2002/11/18 JSN 田代雅章

※この記事は、新潟日報紙の「環日本海情報ライン」2002年11月掲載の記事を転載したものです。

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