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ロシア一般家庭の紹介

ウラジオストクのヤセンコさん一家紹介 月刊「ロシア通信」2013年10月号掲載

  ナターシャと 娘のウリヤナ

母/ナターシャ(32歳)法律事務所勤務
娘/ウリヤナ(2歳)

 ナターシャは今、両親が住む3Kのアパートに身を寄せて、2歳の娘ウリヤナをひとりで育てています。法律事務所で働いていましたが、今は養育休暇中です。
 2年前の状況はまったく違っていました。ナターシャはマクシムという男性と結婚していました。2人が最初に出会ったのは17歳の頃でした。法学部のクラスメイトだった2人が付き合いだして2年半ほど経った頃、マクシムが二股をかけていたことが発覚しました。相手は同じクラスの女の子で、しかも妊娠していたのです。マクシムはけじめとしてその彼女と結婚して父親になるつもりだと言ってナターシャと別れました。
 彼らは結婚して、双子の男の子が生まれましたが、数年後、奥さんは子どもを置いて彼のもとを去っていきました。
 ナターシャがマクシムと再会したのは28歳のときです。彼女の中で再び彼への想いが復活してしまいました。彼はビッグクライアントを抱える有能な弁護士になっていました。ナターシャをあきらめていなかったマクシムは数ヶ月後、彼女にプロポーズしましたが、彼女は結婚を急ぎたくありませんでした。自分の気持ちを確かめたかったのです。最初に裏切られたときのことをまだ忘れることができなかったのです。しかしその後、ナターシャの妊娠がわかって、急いで結婚式を挙げ、ウリヤナは正式に2人の娘として生まれました。
 マクシムの双子の息子たちは郊外に住む彼の両親と一緒に住んでいて、めったに会うことがありませんでしたが、それでもナターシャによくなつきました。でも、結婚してからナターシャとマクシムの関係はうまくいかなくなりました。娘が生まれてからは、状況はさらに悪くなりました。マクシムは仕事が忙しすぎて、傲慢で乱暴になり、何度か彼女に手をあげることさえありました。ナターシャはなんとか家庭を守ろうと努力しましたが、すべてはストレスと徒労に終わってしまいました。マクシムの両親とはもともとあまりうまくいっていませんでしたが、ある事件により、ナターシャの我慢は限界を超えてしまったのです。
 マクシムはまだオフィスで、彼女は娘とふたりで家にいたある晩、マクシムの父親がひどく酔っ払って訪ねて来たのです。彼は酩酊状態だったので、ナターシャは娘に危険が及ぶのではと心配になって舅を玄関の外へ追い出そうとしました。すると彼は逆上してナターシャを殴ったのです。その後、帰宅したマクシムは妻に向かって自業自得だと言って父親の肩を持ったのです。そこで彼女は荷物をまとめると、娘を連れて実家に戻りました。
 その後マクシムは、彼女が全部悪いのだから彼女が舅の許しを乞うべきだと主張し、彼女が拒否すると離婚を持ち出してきました。ナターシャは、娘が父親なしで育つほうが、常に父親に怯えながら暮らすよりもましだと判断して離婚に合意しました。すると、マクシムはさらにナターシャに向かって、「自分は高い給料をもらっているが、大部分は国に申告しておらず、収入は非常に少ないことになっている。だから収入に基いて算出される養育費は笑ってしまうぐらいに微々たる金額になるだろう」と言い放ちました。ナターシャは、彼からの一切の養育費の受取りを拒否しています。
 ナターシャは子どもと一緒に自分が生まれ育った家に戻ってきました。今は両親の収入に頼って生活せざるを得ませんが、彼女は落ち込んでなどいません。来年には職場に復帰して、生活 を立て直しを図るのです。
 それまでは精一杯、娘と一緒の時間を大切に過ごそうと決めています。

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